ポール・ケアホルムのフリッツ・ハンセン社でのキャリアは、あるラウンジチェアの開発によって最高潮に達し、そして終わりを告げます。
幻の名作 PK0
彫刻のような美しいフォルム。
直線的で無駄のないシンプルな製品が多くみられるデンマークのデザイナー、ポール・ケアホルムには有機的なデザインを生み出す一面もありました。
2枚の積層合板を重ねたこのPK0のデザインのアイデアは、ケアホルムが学んだコペンハーゲンの美術工芸学校での卒業制作の構想の際に生まれました。
ハンス・J・ウェグナーからオリジナルの椅子を作成するといった課題を与えられ、スチール製のPK25を生み出したケアホルム。
当時はまだ珍しいスチールを用いたことでそのイメージが突出していますが、おそらく当初は木材、特にプライウッドに素材としての可能性を求めていたと思われます。
グンログッソン邸
ケアホルムの親友であり、家具デザイナーのグンログッソンの自邸にはケアホルムの素材選びのセンスとプロポーションが見事に表現されています。
リビングルームの最終図面には、後にPK25として知られるスチール製のラウンジチェアとともに非常に薄い素材でできた彫刻的な黒い椅子のアウトラインが描かれていました。
この時ケアホルムにはPK0のイメージが浮かんでいたのでしょう。
PK0のはじまり
椅子の形を最小限にすることでコストを抑えて大量生産できるようにと考えたケアホルムは、当時フリッツ・ハンセンが持っていた成型技術を利用してプロトタイプの開発に着手しました。
当初は1/10サイズを板金で立体的にモデル化し、その模型を測定、実寸大のドローイングを何枚か作成した後、ケアホルムは自分のアパートで木製の容器のカーブを利用して実寸大の模型を作りました。
当初ケアホルムは1枚の材料で椅子を作ることを目標としていました。
しかし座面や背、そして脚部それぞれに必要な曲面を組み合わせるには材料を3次元に曲げる必要がありました。
成型合板は、チャールズ&レイ・イームズがすでに示したように2次元的にしか曲げることができず、プラスチックやファイバーグラスを用いることはフリッツ・ハンセンの求めるところではなかったのです。
そこでケアホルムは、2次元的に湾曲し、反対方向に2枚の集成材を接合させることを発想しました。
座面の下は角材で固定され、連結されたシェルによって3次元的に湾曲する安定した構造体が形成されたのです。
幻となったPK0
1952年末、ケアホルムはPK0のデザインを完成させ、フリッツハンセンのディレクターであるソーレン・ハンセンにプロトタイプを提示し、すでに設計図と生産技術が整っていると宣言しました。
ただ、ちょうどその時アルネ・ヤコブセンからアントチェア300脚の受注が入っていて工場はフル稼働していたのでした。
それでもケアホルムは自分の椅子は単一の素材を使い、座と脚が一つの要素になっているのでより革新的なのだと主張しました。
しかしながらPK0は生産されることが叶わず、失意のケアホルムはフリッツ・ハンセン社を去ることになります。
この時ソーレン・ハンセンの功績は、ケアホルムにプロトタイプを持ち帰ることを許可したことでしょう。
1953年半ば、ケアホルムはブラック塗装のプロトタイプの撮影をプロのカメラマンに依頼しました。
その写真は1960年代にかけて何度か掲載され、その制作を求める声もありましたが、ケアホルムの存命中に実現することはありませんでした。
PK0 600脚の限定販売
1997年、フリッツ・ハンセンは創業125周年を記念して妻のハンナ・ケアホルムによって認定された600脚のPK0を制作しました。
生産に際し、座面と背を固定するために使用した角材の色をオリジナルの赤から黒に変更しました。
座面の裏側にはフリッツ・ハンセンのロゴとエディションナンバーを記したプレートが取り付けられ、001番のチェアはフリッツ・ハンセンのミュージアムにあり、残りの599脚は一般に販売されました。
PK0A
2022年の今年、フリッツ・ハンセン社は創立150周年を迎えます。
記念のアイテムとして幻のPK0に強度を持たせる改良を加えた『PK0A』が発売されます。
1997年ではブラックに変更された角材の色をオリジナルの赤へと戻したPK0A、ケアホルムへの敬意が表現されています。
同時に発表されたPK60とともにブログにて紹介しておりますのでご興味がありましたらご覧くださいませ。
ポール・ケアホルムの名作② PK91 フォールディングチェア
ポール・ケアホルムの名作③ PK54 / PK54A ダイニングテーブル
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