絵画展示のご案内②

先日に引き続き、新しい絵画の展示がスタートしましたのでご案内いたします。

浮田要三 ウキタヨウゾウ(1924年‐2013年):「赤丸・青丸」

シンプルな円ですが、非常に力強くエネルギッシュな作品です。

浮田要三さんについて

大阪生まれ。1947年に大阪の尾崎書房に入社。児童画誌「きりん」の創刊に当たり、編集主幹として製作、普及に携わり、児童画教育に注力しました。

児童画誌「きりん」とは

1948年、大阪にあった尾崎書房から刊行された子ども向けの詩と童話の雑誌。子どもが自分で詩を投稿できました。主催者の一人である吉原治良の呼びかけによって特に表紙絵を担当した画家や美術家たちが錚々たるメンバーで須田剋太や小磯良平の他、具体美術協会*のメンバーが多数関わり、1955年には嶋本昭三も執筆に加わります。吉原治良、白髪一雄などの表紙画はおよそ子ども向けとは言いがたい抽象的な表紙のものであり、売るのに大変苦労したという伝説の雑誌です。児童文学作家の灰谷健次郎も教師時代に編集に携わっています。灰谷の担任したクラスの児童の文集が「きりん」に連載され、のちに「せんせいけらいになれ」という一冊の本になっています。

この「せんせいけらいになれ」は大人にはない子供の視点、感性で書かれていて、個人的にとても好きな本です。

「きりん」表紙:小磯良平
「きりん」表紙:須田剋太

具体美術協会(GUTAI)とは

1954年、関西抽象美術の先駆者である吉原治良をリーダーに、阪神地域在住の若い美術家たちで結成された前衛美術グループ。

「人の真似をするな、今までにないものを作れ。」というコンセプトのもと、奇想天外な発想でユニークな作品を次々に輩出。フランスの評論家によって絶賛され、海外で知られるようになります。1972年に解散となるも、近年再び評価され、現在では日本の戦後美術を語る上で最も重要なアートムーブメントの一つです。

製作を始める

浮田要三は表紙画の原稿を吉原治良の家に取りに行ったのが出会いで、吉原の勧めのもと「きりん」の編集と並行して作品制作をはじめます。

その後、「きりん」の運営もしていた浮田は「きりん」の運営がうまくいかなくなると、版権を譲り、1964年には具体のメンバーからも脱退、小さな袋工場を経営します。(この工場はのちに子供たちのアトリエとして使うことになります。)そして脱退後約10年間、彼は一切の創作から離れています。

脱退後、徐々に作品制作を再開。1983年に元具体メンバーの嶋本昭三に誘われてドイツのグループ展に参加。これを機に彼のアートにたいする気持ちが再燃し、国内外の個展、グループ展を積極的に再び開くことになります。やはりアートに対する思いは断ち切れなかったということなのでしょうか。

2008年には「きりん」の表紙絵を紹介する一冊「きりんの絵本」を刊行。

2013年に89歳で死去。長年にわたり自身のアトリエを障害のある子どもや若者たちの画塾として運営し、芦屋市主催による児童の作品展の審査員を晩年まで続けるなど、最後まで児童画教育に力を注ぎました。

作品「赤丸・青丸」

「赤丸・青丸」

パネルに貼付したキャンパスに油彩の2005年の作品です。二つセットの作品です。

もし、浮田さんにお会いできるなら、キャンパスいっぱいに円を描く際、円の下書きをしたのかどうか聞いてみたいくらい見事な円です。

彼の作風は長年、児童画誌に携わってきただけあり、おおらかで素朴な作品が多いと言われていますが当作品も複雑な描写は一切なく、大きな円をキャンパスに1つ。まさに素朴でおおらかさに満ち溢れています。

それでいてキャンパスいっぱいの円はエネルギッシュに感じます。

エネルギッシュさとおおらかさを併せ持つこの作品は、二つ並ぶと不思議とそこにある家具の存在感を引き立てながら、作品自体も何にも負けない雰囲気を醸し出しています。

ご興味がおありでしたらお気軽にお問い合わせください。

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