なぜ今上海か−2 豫園と租界

TAKEZOです

上海の外灘(ワイタン)が近世史を彩った高層建築の街並みであるのと対照的に「豫園」は中国の明〜清時代を彷彿とさせる名跡です。そこに一歩足を踏み入れれば600年近くのタイムスリップが起こったかのような錯覚にとらわれます。
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明時代の建築様式 豫園の庭園
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隅棟の先端につけられた「走獣」とばれる魔除け。
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庭園内の楼閣
14世紀の中頃に南京に興った明朝はその頃勢力を増してきた蒙古対策のために北京に遷都され17世紀初頭に清朝に変わるまで隆盛を極めます。日本ではこの時期は室町時代から戦国時代にわたる時期で足利義満が明貿易を盛んに行って以来、中国の文化をしきりに取り入れ金閣寺が建立されたりします。唐物と言われ戦国大名達が競って手に入れようとした文物の多くは日本の文化を大いに触発しました。


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豫園の街並み


20世紀初め清が阿片戦争にやぶれ開国を余儀なくされます。最初に土地の租借をしたのはイギリスで上海の北部に位置するところにイギリス租界をつくります。次いでアメリカ、フランスと相次ぎ租界を造り商業貿易の拠点とし、自治権を持つようになりました。フランス租界は上海の中心部東西に広がっていますが、その南側上海県城といわれた清末期以前から数百年間変わることがなかった民家の一大集落で迷路のような街であったと言われています。豫園はその境界線あたりに位置しています。今は昔を偲ぶ数少ないところで観光客で賑わっています。上海の都市としての面白さはこの時代、西欧と中国の混淆によって生まれた世界に類を見ない異端な文化形成によるのでしょう。

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フランス租界 紹興路界隈 西洋的な街並みが残る。
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租界の中心にある、ジャーナリストや作家などが集まる書籍カフェ
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木陰で囲碁をする人たち
次回は外灘(THE BAND)に徒花のように開いた和平飯店を中心に描きたいと思います。