リーチ・バー 1 (リーガロイヤルホテル大阪)

 

 「KEIZO」 リーガロイヤルホテル出店記念

 

リーチバー修正 縮小.jpg

 

 

著名なホテルにはメインバーとして、そのホテルの格をあらわすBARが存在します。

ホテルバーは本格的な洋酒が楽しめる格調高い空間として、貴重な外国の銘酒をそろえ

 

豊かな見識と経験を持ったバーテンダーが存在するゆえに歴史的に街のBARと一線を

 

画してきました。むしろ外国から渡航してきた要人に育てられた故の格式があります。

 

その頂点とも言える「リーチバー」は設立の経緯を知るとますます関心が深まります。

 

ある時代の構造の中にあって、希少に優れた人達がめぐり合い、係わり合い

 

「リーチバー」は創りあげられました。ここは日本ではもう数少なくなったBARの原風景が

 

いまでも残っっている貴重な存在です。 

 

戦前、大阪には国際的な近代ホテルはなく関西財界、文化人の強い要望があり財界有力者の

 

協力の下新たなホテルの設立が決まった経緯があります。

 

その時代を振り返る時良く引用される有名な言葉があります。

 

当時の社長、山本為三郎氏は「大阪が日本の大阪から世界の大阪に飛翔する為に

 

些かなりとも、お役に立ちたい」との熱い思いで構想が練られ多くの協力を得て開業しました。

 

それが「新大阪ホテル」誕生となり、さらに発展して昭和40年(1965年)に現在の

 

ウェストウィングにあたるところに「大阪ロイヤルホテル」として開業しました。

 

その折「リーチバー」をつくるにあたって山本氏は次のように述べています。

 

名文なので引用させていただきます。

 

(Reach Bar 小冊子から転載)

リーチバー小冊子 縮小.jpg

 

ちょうどバーナードリーチが昨年又来朝しましたので、ひとつ今度のロイヤルホテルの中へ

 

昔の「三国荘」・・・名付け親は柳宗悦さんで東京の日本民藝館の源流ですが・・・

 

つくったらということになりまして吉田先生に相談したら、それは面白かろうということに

 

なりました。それでリーチに、君の記念碑のかわりに、ひとつ部屋を作るからやらないか

 

とすすめました。柳宗悦さんの遺志を継いだ民芸の同人の濱田庄司、河井寛次郎、

 

棟方志功というような連中がリーチに協力してロイヤルホテルの中にひとつの部屋をつくると

 

いうことになったのです。そこで生存中の柳宗悦さんとの話し合いに基づいて吉田先生と

 

わたしと、どういうものを作るかはなしあったわけです。その後に39年の11月でしたか

 

吉田先生とリーチ達と打合せをしたんです。吉田先生はリーチに、なんでも君の思うとおり

 

のことをいえ、君のいうとおりにする、これがぼくの仕事なんだ、といわれました。

 

そこで壁は藤蓆をつけてくれ、ここになにをしてくれとリーチはおもうとおりのことを

 

いったわけです。それを全部吉田先生はよろしいとおっしゃいました。

 

あとでリーチがわたしに話したことですが、こういう設計なんかする人という

 

のは自分の個性というものをもっているので、吉田先生もおもうとおりにはやってくれないと

 

おもったところが全部100パーセント自分の言う事をきいてくれた。

 

実に愉快だった。自分らも工芸家だけれども、相手の人間の全精神を取り入れるという、

 

そのフィロソフィーというものは生かしたい、という吉田さんに会って感心した、

 

と話していました。

 

 

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 山本為三郎氏は朝日麦酒の創業者であり、一方では美術品のコレクターとしても一流の

 

呼び声がたかった人です。京都大山崎にあるアサヒビール大山崎山荘美術館には氏の

 

格調高い収集品があり、中でも特筆したいのは「日本民芸運動」の支援者でもあった事から

 

バーナードリーチ、河井寛次郎、濱田庄司、富本憲吉など山本氏自身が陶磁器、絵画、

 

染色を収集し、日常に愛用していたものといわれています。

 

今で言うプロデューサー的な役割を当時果たせる人は少なかったことでしょう。

 

ある時代のみに出現する稀有な逸材をここまで結集したことはロイヤルホテルがいかに

 

文化的事業であったかという証左といえるのではないでしょうか。

 

河井 浜田 縮小.jpg

 

(TAKEZO)

 

 

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